函館空港へは国内線では日本航空(JAL),全日空(ANA)、エア・ドゥ(AIR DO),北海道エアシステム(HAC)が就航しています。残念ながらLCCは未就航です。

夏休み特別寄稿  海峡の修道院 【中】

茂辺地の駅舎を出ると正面にのびる道は緩やかに下っていて海へ降りて行くことを感じさせる。しかしここでも海は見えない。駅前通リであるにもかかわらずあまり人の気配が感じられない深閑とした通りである。地方の小駅はどこも同じかも知れない。自動販売機でPETボトル入りの水を買ったあとは大股で両腕を振りながら歩く。

 我、巡礼者なり!

 天気も、体調も良いので気持ちは非常に明るい。徒歩行の精神状態はいろいろな条件に左右されるものだが、なかでもやはり天候と体調は重要な要素だ。堤の上を走る国道への、取り付け道路で小さな工事がおこなわれていて、そこを登りきると急に目の前に海が広がった。それは優しい海だった。津軽海峡、という固有名詞から連想されるイメージとはまったく違う穏やかな海で、それは私が期待していた「夏の海」そのものだった。国道228号線の歩行者用通路は道路の山側に設けられている。それほど狭くはない。路側帯しかない国道も多いと聞くので、歩行者には心強い道である。もっともそのことは旅に出る前に、グーグルアースのストリートビューで確認済みだったのだが。良くも悪しくも、それが21世紀初頭における旅の準備というものなのだ。

国道を行くクルマの交通量はけっこう多い。それもみな時速80キロは超えると思われる速度で飛ばしてゆくのでその騒音はかん高い。もう少し交通量が少なければもっと長閑な気分で歩けるのに、と思うのは旅行者の身勝手というものだ。世界中のどこにも、まず生活がある。我慢して歩かねばならない。そのかわり、ふとクルマが途絶えたときに聞こえてくる、渚に波が打ち寄せる音がとても端正なものに感じられる。山側の林の中からは蝉時雨だ。真夏の、まっただ中を自分の足で歩いている幸せを感じる。海からの微風も心地良い。その裏には還暦を過ぎた自分は「あと何回夏を過ごせるだろうか」という思いも幽かにあるのだ。もはや青春時代のように「今ではないいつか、此処ではないどこか」などと悠長なこと言っていられる境遇ではないのだ。自己感覚では時速4キロで歩いている。けっこう早いペースだ。

歩き始めて15分ほどしたとき、1台のクルマが軽くクラクションを鳴らしながら通り過ぎ、少し先で停車した。デポ約の同行者が運転する我が家のクルマだった。早い。もう追いついたのか。最初の計画では彼女も一緒に歩くことになっていたのだが、朝函館駅前のホテルの喫茶室で打ち合わせた段階で暑熱と陽ざしを懸念して歩行を断念、デポ役にまわることになった。私としてもその方が気が楽だし、デポジットカーが伴走してくれることは心強かった。少し巡礼の趣旨からは外れるが二人で旅する時には妥協も大事なことだった。集合場所を渡島当別の駅から修道院の入口に変更してクルマを先行させる。まだそこまで1時間半近くかかるはずだった。
再び単独歩行に戻りコンクリートの防波堤で囲まれた小さな漁港を過ぎる。係留された船は一隻もない。出漁中なのだろうか。それとも所属する船のない港なのだろうか。当面の目標は国道が右方へカーブして視界から消える地点である。そこは小さな岬をかわすポイントなのだがその岬の上部には灯台があるはずだった。葛登支岬(かっとうしみさき)灯台という。その突端はまだかなり先に霞んで見える。しかしこの海岸を歩いている気持の良さがそこまでの距離感を負担に感じさせないようだった。