四国三郎と呼ばれる吉野川の河口は広い。紀伊水道への出口あたりでは川幅は1.4キロほどあり、どこまでが川でどこから海なのか判然としない。徳島空港は吉野川の本流より北を流れる幾筋かの分流が形成した河口デルタ地帯にあり、滑走路の東端は紀伊水道に突き出す形になっている。

飛行場としての歴史は旧海軍航空隊の基地として開設された1941年まで遡る。その名残もあって現在も海上自衛隊との共用飛行場となっている。

この空港周辺に人形浄瑠璃をテーマにした施設がふたつある。ひとつは吉野川本流の左岸にある県立の「阿波十郎兵衛屋敷」。いま一つは空港のある松茂町の歴史民俗資料館に併設された人形浄瑠璃芝居資料館である。何故近接した場所に同じテーマをもった施設が並立しているのかは不明だが、浄瑠璃劇「傾城阿波の鳴門(けいせいあわのなると)」は史実と架空の話しがミックスされたストーリーが面白く、もし飛行機の出発まで時間があるならどちらかを訪問されることをお薦めする。

徳島市内は第二次世界大戦で受けた空襲により市内の大部分が焼失してしまったため歴史ある建造物は殆ど残されていない。しかし市のシンボル眉山(標高290m)山麓にある寺町界隈は落ち着いた城下町の名残りを残している。瀬戸内寂聴の自伝的短編集『場所』には、出身地である徳島の地誌的描写が豊富に語られている。